- 高砂市の紹介
- 集積状況
- 暮らしいいね
- 高砂の偉人
- 高砂の歌

高砂市の紹介
Introduction of Takasago

高砂市は、兵庫県中南部の播磨沿岸地域の中にあって、姫路市と加古川市の中間に位置しています。市域は東西8.00km、南北9.57kmで、面積は34.38㎢です。
気候は典型的な瀬戸内海型を呈し、気温は温暖で年平均15℃前後、年間降水量は約1,200mmです。市民生活のみならず企業活動においても非常に快適な気候です。
兵庫県内最大の河川である加古川の河口に隣接し、播磨灘に面する当市は、加古川の豊かな水利が優れた景観、肥沃な土地となって市民生活の大きな源となっているとともに、古来より商港として播磨地域の中心的役割を担ってきました。
高砂市の土地利用状況を都市計画用途地域別に大まかにみると、臨海部の播磨工業整備特別地域の中核をなしてきた工業地域及び工業専用地域、山陽電鉄各駅周辺の商業及び近隣商業地域とそれ以北の住居及び住居専用地域、そして、国道2号以北の市街化調整区域に分けることができます。
高砂市全域が都市計画区域に指定されており、そのうち市街化区域は21.53㎢(62.6%)、市街化調整区域は12.87㎢です。市街化区域の用途別地域の面積割合は、工業専用地域が27.2%と最も多く、次いで第一種中高層住居専用地域26.3%、第一種住居地域10.4%の順となっています。また、各種住居専用地域及び居住地域は市街化区域の57.4%、準工業、工業及び工業専用の工業系地域は38.9%、工業地域の割合は他市に比べ高い値となっています。

既存産業の集積状況
Industry
明治34年に三菱製紙(株)が立地して以降、戦前・戦後にかけて、加古川の豊富な工業用水、遠浅の海岸線、そして大阪、神戸などの大都市圏に近いという企業立地の好条件に恵まれ、海岸線を中心にキッコーマン、東洋化成、旭硝子、タクマ等が進出するところとなりました。
高砂市では、昭和30年に工場誘致条例を施行し、海岸線の埋立てによる工場用地の造成、道路及び港湾の整備などにより、(株)カネカ、(株)神戸製鋼所、三菱重工業(株)、電源開発(株)、サントリープロダクツ(株)などわが国を代表するものづくり産業の新増設がなされました。
また、昭和39年には播磨工業整備特別地域の指定を受け、一躍重化学工業都市へと変貌し、播磨臨海工業地帯の中核都市として発展してきました。
工業統計調査によれば、高砂市域の平成20年製造品出荷額等は9,597億円で、県内全体の5.8%を占めています。

暮らしいいね
Happy Life
医療いいね
- *高校卒業まで医療費完全無料化*
- 高校3年生までの医療費を完全無料化(所得制限なし)
- *不妊治療・不育症治療費への支援*
- 妊娠・出産のために不妊や不育症の治療を行う夫婦に、治療にかかる費用の一部を助成します。

子育ていいね
- *待機児童ゼロ*
- 保育所等の待機児童のゼロ記録を更新中。
お母さんも安心して仕事ができます!
- *病児保育*
- 具合の良くないお子さんを専用の保育室でお預かりします。仕事を休めない、代わりに看てくれる人もいない、そんな保護者を支援します。(小学6年生まで)
- *保育料支援*
-
・3歳~5歳の保育料・副食費が無償
・第2子の保育料の半額、第3子以降無料

結婚いいね
- *新婚世帯への支援*
- 結婚に伴う新生活のスタートを支援するため、高砂市内に居住する、世帯所得が500万未満の新婚世帯に対して、住居費および引っ越し費用の一部を補助します。

生活いいね
- *安くて安全な水道水*
- 水道料金は全国で上位の安さ


高砂の偉人
Takasago Great man
伊織は慶長十七年米田村の田原甚兵衛久光の二男として生まれました。十六歳の時明石藩小笠原忠政の近習として仕え、この時小笠原候に召し抱えられていた剣豪として広く知られる宮本武蔵と出会い、器量が優れていたことから武蔵の養子となりました。後に若干二十才で豊前小倉藩の家老にまで出世し、知行二千石、後に四千石まで加増され、生まれ故郷である米田村を含む十七ケ村を氏子とする泊神社の本殿など主要な建物を再建し、米田天神社の社を建立されました。
泊神社に残された棟札がありますが、それは伊織が自らの一族の経歴と社殿再建の趣意を表白したものです。伊織は赤松氏の流れを汲む田原久光の子でしたが、武蔵の養子となり、主君明石藩小笠原候の移封に従って豊前小倉に移り住んだことなどが書かれています。
(高砂市史より)
剣豪として広く知られる武蔵ですが、出生については未だ謎が多く残されています。自ら記した兵法書 「五輪書」には、生国播磨と記しています。武蔵は正保二年(1645)五月十九日に肥後国熊本で没し当時六十二才であったと考えられています。
十八世紀中頃に米田の隣村である平津村の平野庸脩が編んだ「播磨鑑」には、「宮本武蔵、揖東郡鵤ノ邉宮本村ノ産也」と明記しされています。また安永五年(1776没後131年)に豊田景英が著した「二天記」には、宮本武蔵の伝記で播磨生まれである事が記されています。「二天記」は武蔵の晩年の弟子たちから聞き覚書をはじめとする史料をわかりやすくまとめたものです。
さらに文化十二年(1815没後170年)に津山藩士が著した作州東部六郡の地誌「東作誌」には、武蔵が作州宮本村の平田無二の子であると記されています。また、伊織の子孫である豊前小倉の宮本家の系図を基にしたものも残されています。この系図は十九世紀中頃に作成されたと考えられるもので、これによれば武蔵と伊織は伯父甥の間柄になっています。
このように、「五輪書」や「二天記」という武蔵に近い年代の史料では播磨生まれと記され、史料の成立時期を考えると、武蔵の没後80年くらいに記し始めた「播磨鑑」の記事にも注目できます。
(高砂市史より)
わが国の帆布製造の始祖として知られる初代工楽松右衛門は、寛保3年(1743年)高砂町東宮町に生まれました。従来の帆布に改良を加え、厚地大幅物の帆布の織り上げに成功、「松右衛門帆」と呼ばれて全国の帆船に用いられるようになりました。また、幕府の命を受けて千島の択捉島に埠頭を築くなど優れた築港技術者として活躍しました。彼の功績を称え、高砂神社の境内には銅像が建てられています。
明治6年(1873年)高砂町に生まれました。幼少のころより神童と呼ばれ、東京帝国大学法学部を卒業後、東大教授として憲法を講じています。その後、達吉の論じた「天皇機関説」が問題となり、著書「憲法撮要」などが発売中止となり、その後、公職を退かざるを得なくなりました。しかし、敗戦後、憲法改正の際には顧問として活躍し、新憲法の研究を重ね、次々と著書を執筆しました。
慶長17年(1612年)高砂町船頭町に生まれました。京都の豪商角倉與市の船頭前橋清兵衛の書役としてシャム(タイ)にわたるなど交易に従事しました。徳兵衛はこの間の体験を見聞記にまとめました。この話はやがて歌舞伎の題材になり、ことに四世・鶴屋南北の「天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)」は大当たりをとりました。高砂町横町の善立寺にその墓が残っています。
13歳で大阪に出て両替商升屋平右衛門に仕え、主人が亡くなると幼主を支えて仙台藩の蔵元として藩財政を立て直したほか、多くの大名貸しをつとめる大商人となりました。また、生来の学問好きで、晩年に大作「夢の代」を著しました。同書で蟠桃の合理主義的な思想は今なお高い評価を受けています。
私たちに馴染みの深い童謡「月の砂漠」や「お山の杉の子」「青い鳥」を作曲した佐々木すぐるは、明治25年(1892年)阿弥陀町魚橋に生まれました。作曲のほか、青い鳥児童合唱団を主宰するなど一生を音楽活動に捧げ、その功績には特筆するものがあります。阿弥陀町魚橋の正蓮寺には森繁久弥氏の筆の顕彰碑が建立されています。
ぼっくりん音頭
発表年:2013年
新高砂音頭
歌:金田たつえ・松江和耶
発表年:1984年6月
高砂音頭
作曲及編曲:阪東教一
発表年:1934年6月
高砂小唄
唄:藤島恒夫・野村雪子
発表年:1954年
高砂ぶし
新高砂小唄
校閲:喜志邦三
唄:鈴木正夫・三沢あけみ
ぼっくりん音頭
くるっと回って踊りゃんせ ぼっくりん音頭で踊りゃんせ
ハァー青い大空に ハァー輝く太陽
ほらこんなに明るくなる 元気よく手を振って
みんなそろって踊りゃんせ あの子もこの子も踊りゃんせ
手と手をつないで踊りゃんせ ぼっくりん音頭で踊りゃんせ
元気に陽気に踊りゃんせ 恋人同士で踊りゃんせ
手と手を合わせて踊りゃんせ ぼっくりん音頭で踊りゃんせ
ハァー夜空に広がる ハァー青い星たちも
ほらこんなに輝いてる 気持ちよく手を振って
三歩進んで踊りゃんせ 一歩戻って踊りゃんせ
上を見上げて踊りゃんせ ぼっくりん音頭で踊りゃんせ
相生の松も踊りゃんせ 幸せ運んで踊りゃんせ
縁を結んで踊りゃんせ ぼっくりん音頭で踊りゃんせ
ハァー広い大空に ハァー浮かぶ雲たちも
ほらこんなにやさしくなる 微笑んで手を振って
尉と姥も踊りゃんせ 高砂良いとこ踊りゃんせ
みんな一緒に踊りゃんせ ぼっくりん音頭で踊りゃんせ
新高砂音頭
めでた めでたは相生の 松の緑か尉と姥
末代までもの語り草
ほんによいよい ほんによいよい 高砂は
高砂は 男はみんな 夢一途
工夫一代 松右衛門 度胸かうなら徳兵衛か
天竺 渡海に 命がけ
ほんによいよい ほんによいよい 高砂は
高砂は 女が苦労知らぬ町
永根 文峰 父五関 知恵の菅公 蟠桃と
石よりお堅い人ばかり
ほんによいよい ほんによいよい 高砂は
高砂は玄関口よ播州の
北は稲美の米どころ 南瀬戸内 播磨灘
山幸 野の幸 海の幸
ほんによいよい ほんによいよい 高砂
高砂音頭
いつも青々 人を待つ ソレ
いつも青々 人を待つ ヨイヨイ
御代の栄と縁の契り ヤットセー
幾代かはらぬ 尉と姥 ソレ
幾代かはらぬ 尉と姥 ヨイヨイ
夏はうれしや髙砂浦の ヤットセー
波に五色の 華が咲く ソレ
波に五色の 華が咲く ヨイヨイ
千代にその名も髙砂祭 ヤットセー
裸凛々しい 船渡り ソレ
裸凛々しい 船渡り ヨイヨイ
晴れて播磨の眺めも廣い ヤットセー
淡路島さへ 松のかげ ソレ
淡路島さへ 松のかげ ヨイヨイ
高砂小唄
船は出てゆく 播磨灘
島も影添う 相生松に
たのし逢瀬を あさり貝
ナー エーヤナイカ
ほんまに ほんまに
高砂エヤナイカ
燃えてあの娘も 良い見頃
誰に伊保うか 千里の眺め
ここは絵になる 観涛処
(以下はやしことば略)
なさけは洗いの 川千鳥
みなと夕凪 出潮の月に
君の横顔 夢に見る
祭り屋台は 意気の良さ
囃す目出度が 煙りに揺られて
今日も繁盛の 街灯り
高砂ぶし
「謡」はやして エー船が出る
トコトロリトユラリトトロリトネ
トロリ トロリト ユラリトネ
男徳兵衛 天竺股にヨ
度胸鳴らした エー あげしぶき
以下はやしことば略
淡路招こか
家島を呼ぼかヨ
中の神島 エー誰を待つ
昼はきすすも 夜釣りは穴子ヨ
穴子あの娘に エー上げる味
こいしあの方 龍山石かヨ
固いきづなが エー切れやせぬ
月がかたむく 播磨の灘にヨ
千鳥囁く音を エー松の影
汽笛鳴る 鳴る 港に工場ヨ
待ちやあの娘の エー胸も鳴る
鴎つがいで 高砂浦へヨ
晴れの祝言 エー挙げに来い
新高砂小唄
流し目で見る いきな町
明日の栄を まねいて呼んで
並ぶ工場のそれさそれそれ威勢よさ
トコ高砂良いとこそれさっさ
はあ 松は相生 緑の風に
尉と姥との声がする
謡 高砂 みんなでおいで
ここは天下の それそれ縁結び
トコ高砂良いとこそれさっさ
はあ 願い成就の青木をそなえ
合わす両手に花吹雪
かわいあの娘はのじぎく乙女
おおてうれしい それそれ観濤処
トコ高砂良いとこそれさっさ
はあ 屋台ねれねれ 囃しよ響け
小金波打つ 気も踊る
播磨平野は 夕焼け 小焼け
石の宝殿 それそれ茜染め
トコ高砂良いとこそれさっさ